2007/07/09

『ドルフィンブルー』──映画です。

2007.07.08 ドルフィンブルー フジ もういちど宙へ

 監督:前田哲
 出演:松山ケンイチ、池内博之、山崎努


 「映画で沖縄の風景を見るの久しぶりだなぁー」との思い入れから、サッサと物語の中へ入り込んでいきました。
 何にも無いんだけど、そんなサトウキビ畑の中を走るのが気持ちいいんだよなぁー、と……
 わたしは、のめり込むように楽しめましたが、物語に初めて接する人にとっては散文的でストーリーに入りにくいかも知れない、と感じらる面もありました。
 でも、制作者側に沖縄を知っている人がいるようで、フムフムと納得できるので、考証についての文句は特にありません(何をエラそーに! 言葉にこだわるような作品ではないと思えますし…)。
 動物を道具にしたお涙頂戴映画にはなっていないし、イルカのフジの行動(演技? だと思ってます!)を丹念に見せようとする姿勢には共感が持てるのではないでしょうか。
 特に、浅瀬プールになかなか上がらないフジと調教師を長々と写し続けた場面は、実際の調教現場の緊張感がでていて、とても好感を持ちました。
 みちるとおじいのシークエンスはとても好きな世界なのですが、生かし切れていなかった気がします。主人公と恋人のエピソードも、ホリプロの新人タレント(女性)を出したかっただけなのでは? の印象をぬぐいきれません。
 飼育係たちの葛藤はもちろん大切なのですが、もう一つの車輪である「ブリジストン!」の技術者たちの苦悩も、もう少し描くべきであったと思う──「プロジェクトX」じゃないから別にいいのかしら?
 応援のつもりなのに文句が続きましたが、物語としては前向きな話しなのでとてもさわやかな印象が残ったと思いますし、ホリプロ主催映画としても松山ケンイチの好感度は上がったと思えるので、悪く言う必要はないと思います(特に好きではないが… ほら、また!)。
 やっぱりフジ! です。
 フジ自身、きっと演技しているつもりだったのだと思います。まあ、よってたかって遊んでくれていることがうれしかっただけかも知れませんが、それこそがコミュニケーションなのですから!
 そこで思ったのは、わたしがプールサイドでカメラを構え続ける姿を見たフジが、撮影で遊んでくれた人たちのことを思い出したて付き合ってくれたのかも? ということでした。
 そんなことはないとは思いますが、そうかも知れないと思っている自分はまた行っちゃうんだろうなぁ、ってことだけは確からしそうです。
 いずれにせよ、人とイルカの共同作業であることが映し出されていると思うので、成功作と言えると思います。


 公開2日目の日曜の夕方なのに(高槻の映画館)お客さん10人程度でした。
 東京は違うのかも知れませんが、もっと観に行ってください!(とは言え、ホリプロの応援ではありません)
 もちろん、美ら海水族館のイルカラグーンプールにも!

2007/03/20

勝連城跡(かつれん)──天空の城

2007.03.20
 勝連城跡(Map)—沖縄県

 天に昇る竜の尻尾のような城壁をしたがえ、その上に、曲線が波打つオーロラが石になったようなデザイン(?)、さらにその上段に城壁がトルコ帽のようにのっかっている。
 とてもエレガントなのだが、首里城などに見られる「隅頭石(すみがしらいし)」(城壁の角の石にやわらかいカーブを付けた飾りのようなもので、とてもチャーミング)などの装飾は見られず、機能を重視した結果生まれた形状のようで、断崖に立つ要塞としてあの曲線は必要な構造なのかも知れない。
 琉球で城が築かれはじめたころの、古いタイプの築城技術なのではないだろうか。



 1500年代半ば、阿麻和利(あまわり)という城主が、首里王朝成立後も最後まで抵抗し、王権奪取を企てた城だそうです。
 しかし、その野望果たせず王朝軍に敗れ、この城の繁栄も終焉を迎えたそうです。
 その十数年後、先日触れた尚円王(しょうえんおう)が琉球王となったとのこと、これを書くに当たり調べて、初めて知りました……
 ちなみに、京では応仁の乱が起こっていたそうです。
 そんなワイルドさ、戦うための城、という風貌が引かれる理由なのかも知れません。
 だって、トルコ帽の反対側の石垣の下は崖ですからね。手すりもありませんし、ちょっとビビリますよ。
 近ごろ、高いところが怖くなってしまって……



 下の写真は、城跡から見たその南側に広がる泡瀬(あわせ)の干潟です。
 浮かんでいる船は何をやっているかというと、埋め立ての工事をしています。
 何もこんなきれいな海を埋め立てることはないのに、と感じてもらいたくて撮りました。
 埋め立てはするなとは言えません。ただ、そこにホテルや商業施設を誘致するのだそうですが、それは本当に必要なのだろうか? と思うのです。
 埋め立ててホテルやショッピングセンターを作れば、それで第二の北谷(ちゃたん)(基地用地返還後に商業施設を建設して成功している町)が生まれて、成功するのだろうか?
 沖縄には、失敗に終わったホテルだったとおぼしき廃墟や、開発途中で頓挫したと思えるような、なれの果ての荒れ地が散在しています。
 本土でも、開発に自治体がお金をつぎ込んで、結局資金回収できなかった例は、思い出せないほどたくさんあります。
 例に出されても仕方のない「夕張のようにはならない」という根拠があればいいのですが……
 やるのならば、成功して地元の人々がよろこんでもらえるようになって欲しい、と願うばかりです。
 でもやはりその前に、もっと有効な利用法があるような気がしてならないのです……


 これで、今回の沖縄編は終了になります。
 これを書きながら自分でも驚いたことは、久しぶりに行ったせいもありますが、書きたいことが次から次へと浮かんできてしまい、整理するのに苦労したにもかかわらず、それでも文章が長くなってしまったことに「こんなに思い入れ強かったんだ」と自覚したことです。
 そんなに好きなら、まずは「もっと行かなくちゃ!」 でなきゃこの先は書けない、と認識しました。
 さあ、次なるアプローチ「沖縄とどうつきあっていくのか」考え始めないと、という気持ちです。

 Okinawaは See you !
 です。

海中道路で渡る島々
──浜比嘉島、宮城島、伊計島

2007.03.20
 海中道路(Map)—沖縄県


 最終日にようやく太陽(てぃだ)にお目にかかれました。
 海中道路から太平洋方面の眺めです。
 ここはなぜ「橋」ではなく海中「道路」なのかと言うと、海を埋め立てているからです。最初の建設は1970年代で、平安座島(へんざじま)の石油備蓄基地(ここも大規模な埋め立て)への取り付け道路だったそうです。
 拡張工事のころの「ほこりだらけで、泥で濁っていた海」を思い出すのですが、現在では、地元の人たちが休みなどに気軽にこられる海浜公園として定着していることを考えると、この道路の建設、地域の開発は目的を果たせたのかも知れません。
 いまは、この開発は成功と思われていても、数十年先、周辺の浅瀬はどうなっているのでしょう?


 浜比嘉島(Map)(はまひがじま)—沖縄県


 ここはダメですよ、絶滅です!
 昔は、だだっ広い砂浜だったのに、ブロックなんか積んで公園風にしちゃって、もう見る影もありません……
 ウインドサーフィンなど、マリンレジャーをしやすくするためなのか?
 写真は、コンクリのない端っこの方で撮りました。
 昔の写真を探しておきます……
 ここはアマミチュー、シルミチュー伝説の島で、今回は回れなかったのですが、とても趣のある霊場があります。
 伝説と砂浜は関係ないのかも知れませんが、橋の開通は大きな転換期になったと思われます。


 宮城島(Map)—沖縄県


 宮城島より浮原島を望む。
 この島は何度も通っているのですが、いつも通り道でしかなかったことに、今回も通り過ぎた後に気がつきました。
 迷惑かも知れませんが、次回はちょっとのぞかせてもらいます。


 伊計島(Map)—沖縄県

 伊計島のとば口にプライベートビーチ(有料)があります。お金を払って一度入ってみようと思っているのですが、いまだに実現せず。セコイとかいう問題じゃなくて……じゃ何? 環境税と思って次回入ってみます。
 島の先端にはリゾートホテルがあります。昔は、こんなところ珍しさだけですぐに廃れると思っていたのですが、高校教師の友人が修学旅行で泊まったなどと聞くと、うまく営業しているようです。ちょうどドライブがてらの距離と、バーベキュー等の施設やコテージがあったりと、半アウトドア的な方針が受けているのかも知れません。
 えっ? はい、わたしも泊まりました。そりゃ、泊まってみないと何も言えませんから……

沖縄こどもの国(沖縄市)──与那国馬たちは元気です

2007.03.19
 沖縄こどもの国(Map)—沖縄県


 沖縄こどもの国は、沖縄市(コザと言った方が伝わるかも知れません)にある動物たちとふれあえる公園施設です。
 そこに、活動理念に賛同した「ヨナグニウマふれあい広場」が出張所を開いています。広場のメンバーとは仲良くさせてもらっており、友人がここをとり仕切っています。
 ここには、トゥバル、ルパ、ユウナの3頭の与那国馬がいます。与那国馬は日本の在来種で、孤島(Dr.コトーです)での暮らしが長いため、他の在来馬とは異なる特徴を持っています。小柄でも与那国の自然の中では存在感を示していたのですが、街中の公園ではとても可愛らしく見えました。
 この日はユウナに乗せてもらいました。こちらでも機会があれば乗りたいと思ってはいたものの、結局前回の与那国以来2年ぶりですから最初は緊張です。慣れてきて園内散歩に出たのですが、どうもイマイチ。乗馬の楽しさって、馬の背に揺られながら周囲の野や山を眺めることなのに、公園で広いとはいえその先にビルが見えたりすると盛り上がりません(でも、それってきっとスゴイ贅沢な注文なんだと思う)。
 何でそうなっちゃったかと言えば、最初に与那国島の自然の中で乗馬の楽しさを覚えちゃったからだと思います。農道をポクポク散歩しながら、しばらく歩いては馬に草を食べさせたり、砂浜を駆けたり(Dr.コトーの吉岡クンと蒼井優ちゃんが歩いていた砂浜を走るわけさぁ!)、乗馬クラブの小学生たちが駆け寄ってきたりと、それはもう盛りだくさんで飽きることのない「おうまの散歩」を経験しちゃったらねぇ……
 そうそう「海馬遊び(あしび)」したことありますぅ?
 馬と一緒に海に入って、泳ぐ馬の尻尾につかまって引っ張ってもらうんですけどね。水上バイクに引っ張ってもらうのとは大違いで、間近で馬の荒い息を聞くと思わずさすってあげたくなりますから。
 まずは、子どもの国で体験してから、是非与那国に!
 何だか思いっきり宣伝しちゃいました。


 ここでは「子どもの居場所作り」という取り組みに協力していて、放課後の子どもたちが仲間たちと一緒に遊べる(勉強できる?)場を提供しています。この日はあいにく雨が降り出したものの、子どもたちが100円玉を握りしめ(参加費200円だったか?)楽しげに集まってくる姿を「子どもらしい表情だなあ」と感じ入っていました。
 彼、彼女らは本当に屈託のない、いい子たちで、子どもとの接し方の要領を得ないわたしにもどんどん入り込んできて、それを楽しんでしまう好奇心に満ちあふれています。
 「この子たちは大丈夫だ!」でも「おれは大丈夫だろうか……」
 彼、彼女らに元気をもらって!

美ら海水族館(海洋博記念公園)──逢えた……

2007.03.19
 美ら海水族館(海洋博記念公園)(Map)—沖縄県

 尾びれを病気で失い、以前のように勢いよく泳いだりジャンプ出来ず、生きる意欲を失っていたイルカのフジが、人々の熱意の結晶である「人工ヒレ」によって、生きる力を取り戻していった。
 そんなテレビのドキュメンタリ番組を観てから、心で叫んでいました「フジに逢いたい!」と……

 逢えた……
 とても元気そうで、仲間たちと楽しそうに、何の違和感も感じさせぬ姿で泳ぎ回っていました。泳ぐ姿からは識別出来ませんが、尾びれに注目していれば水中の光の揺らめきの中でも一目瞭然、その小ささが明らかに分かります。ジャンプは出来ないだろうけど、この尾びれで泳ぐための、心と、体の鍛錬をしたんだろうなぁ、ということも……


 そして、この写真分かります?
 いつも泳ぎ回っているイルカがおとなしくしているのが!
 波立っていないでしょ!
 彼女(母親です)がポーズ取っているんですよ!


 公園の駐車場を後にしたころから急に横殴りの雨が降り出してきましたが、真っすぐに「イルカラグーンプール」へ。雨降りなので人影のないプールサイドからフジの姿を見つけ、休もうともせずに泳ぎ回る様子を眺めていました。雨が止むのを待つのか考えてるうちに「動かねば開かれん!」と、横殴りの雨の中でカメラを取り出しシャッターを切りはじめました。ファインダーをのぞきはじめると、時間や雨に濡れたズボンのことなど忘れて「もう少しジッとしててくれないかなあ」と彼女の姿を追い続けてしまいます。他の人は「見えないねぇ」とそそくさとプールを後にする中で、30分は同じ場所に立っていたでしょうか、何とフジが静かにこちらに寄ってきたのです。その時に撮ったのがこの写真です。自分では、結構長い時間いてくれたと思っているのですが、枚数からすると1〜2分の出来事だったようです。ひとしきり愛想を振りまいてくれたのち、サァーっと奧のプールに泳いでいきました。その頃には、激しかった雨も降りやんでいました。


 イルカにとっての尾びれは、人間では両足に相当するのではないだろうか。そんな彼女を励ますつもりが、逆に「元気でね」と声をかけられた気がしました。そして、フジに「かまってもらった(遊んでもらった)」ことにも、感激のあまりウルウルしてきちゃいました…… 
 「またフジに逢えるように頑張る!」
 こんな事書いたら、どう思われるか知れないぞ。
 そんなことは承知の上で「また、逢いに行く!」と心に決めてしまっています。

 イルカたちは本当にフレンドリーな生き物で、小笠原ではイルカの群れが遊覧船と併走するのを楽しんでいる(船長の談)姿を目にしたし、横浜八景島の白イルカと目があったなら、そこから立ち去りがたい切ない気持ちにさせられてしまいます(他の人に感心が向いてしまったときの切なさったら……)。
 とにかく一度お試しあれ。わたしはスポッとはまりましたが、イルカ側にも好き嫌いがあるかも知れませんしね……




 上は、展示されている人工ヒレです。
 ここには人々の熱意と技術の粋が凝縮されています。
 その思いを映像化して広めようとする活動が、今夏に展開するそうです。
 『ドルフィンブルー フジ、もういちど宙(そら)へ』 という映画です。(完全な宣伝だ、こりゃ)
 コレ観たら、また来年も! って、思っちゃうんだろうなぁー。


 さてさて、今回は脇役ですが「美ら海水族館」を忘れてはいけません。
 まずは「お客さん増えたなぁ」と、げんなりしたものの、おかげで入場料安くなった? (前は2,300円だった気がしたが、勘違いか?)
 お目当ての大水槽ですが、小魚の群れが少なくなった気がするのと、マグロいたっけ?(小魚たちはマグロに食べられたのでは)
 ジン太(ジンベイザメ)くんは何代目なのだろう?(尾びれの傷が無くなっている)
 くだらない感想ですが、やはりそれも通わないと出てきませんしー。
 また来ます。

 下の写真は、ジンベイザメの頭の上に、腹を上にした完全に無防備な姿で身を任せる魚の姿に驚いて撮ったものです。
 コバンザメを小心者と呼ぶなら、こいつは何と呼ぼうか?

伊是名島──「王の島」の誇り

2007.03.18
 伊是名島(Map)—沖縄県


 ここ伊是名島(いぜなじま)は、美ら海水族館のある本部半島(もとぶ)の運天港(うんてん)から、フェリーで1時間ほどのところにあります。画を見れば「あぁ」と思うであろう、版画家の名嘉睦稔さんが暮らしている島です。
 ここは、琉球王朝時代(1500年頃)の国王が生まれた地として敬われてきたという経緯をもっています。折しも市民劇の、史劇『尚円王』(しょうえんおう)3月24日の公演に向けての稽古が行われており、宿の娘さんが参加しているとのことで見学させてもらいました。かなり熱がこもっていてきっといい舞台になり、王の元に島がひとつになることと思います。
 上の写真は「伊是名 玉御殿(たまうどぅん)」といい、尚円王の家族が祀られているそうです。首里の玉御殿には、尚円王が祀られているそうです。
 この一体には奇岩が多く、琉球の宗教行事に好まれる環境で、右の写真の「龍神洞」はまさに沖縄らしい御願所(祈祷所)だと思います。
 下は、銘苅家住宅(尚円王の親せき、重要文化財)の石垣です。こんな形に石垣を組むには何か理由があるはずと思うのですが……(他にいくつもありました)
 その下は、尚円王の生誕地にある「アサギ」(附拝所)で、茅葺き屋根が残されているは珍しいそうです。
 以上、「王の島」観光案内でした。




 そんな島の誇りを継承しているとでも言うのでしょうか、宿の母さん(美島)の島自慢に込められた自信には、心に響くものを感じました。トライアスロンの開催も18回を数えるそうで、そんな交流からも豊かさが広がっていったのではないかと、とても気持ちが暖かくなってきました。(天気は良くなかったのですが)
 そんな時、訪問前に見てしまったイヤな情報(夕張市同様の破綻寸前の自治体名に伊是名の名前がありました)を思い出しました。
 それを住民にどうせいと言うんだろうか。豊かではなくても(金銭的に)、自分たちの生活の場を明るく楽しくしたいとまじめに生きている人たちに、その責任を押しつけるとは……
 そんな行政を行った代議士たちを選んだ責任は確かにあると思うし、説明されれば理解できないことではないとは思うが、一律に同じ扱いをされてしまうと田舎ほど不便で暮らしにくくなってしまうと思うのです。みんな東京に集まってくればいい、とでも考えているのか? これが格差社会だとしたら、田舎に未来を感じられなくなってしまう……
 現代の尚円王を待つしかないのだろうか?

古宇利島──念願の架け橋完成! でも、

2007.03.18
 古宇利島(Map)—沖縄県


 かなり前に船で行こうと考えていた頃「橋が架けられる」と聞くも、待つうちに月日がたってしまい、橋というものは、数年で簡単に出来るものではないと実感しました。
 島の人々は「便利さ」「活性化」を待ち望んでいたと思いますが、「迷惑」も運んでくることに困惑した表情も見て取れました。それは、宮古島との橋が開通した頃の「来間島(くりま)(Map)」(1995年3月開通)と同じ状況に思えます。
 便利な橋が出来れば、物珍しさから大きな島側から観光客が大勢押し寄せてきます。でも、小さな島側の生活環境というものはおいそれとは変えられるものではありません。それまで島内で完結していたものが、島外との付き合いを考慮する必要に迫られる訳ですから、それは大騒ぎです。物の流通はあっても、人の大量流入は初体験ですから、困惑気味の表情も理解できます。
 訪問する側の印象も、勝手の違う状況にとまどってしまいます。地図には、この先と示されていても、軽トラックしか通れない道に「このあぜ道、戻ってこれるだろうか」と二の足を踏んだります。「踏み込むべきじゃない」と思う人はいいのですが、そんな人ばかりではありません。道路の整備も必要ですが、案内(情報)をきちんとしないと、島民と訪問者の動線が絡まってしまい、無用な混乱を招くのではないかと思います。
 また橋の完成は、ひとつの「文化の壁」を取り払ってしまったわけですから、それを有意義に活用するよう努めるべきだと思いますが、言葉で言うように一朝一夕には叶うわけもありません。「閉鎖的な村意識の改革」なんて書くとどうも重苦しいですが、「交流の新世紀の幕開け」というような、明るい意識で取り組めればいいのでは、と思います。

 下の写真は「村の墓」だそうですが、こんな風習も変わっていくのでしょうか……

名護──らしさが残る町並み

2007.03.17
 名護(Map)—沖縄県

 ハイサーイ! 2年ぶりの沖縄です。
 天気は良くないのですが、この時期でこの暖かさ(最高気温20℃前後)には、毛穴が開く実感があります。
 毎度のことですが、空港に降り立った瞬間に「もっとゆっくりしたいのになぁ」と感じたならば、もう既にリラックスしているということなのだと思っています。
 名護という地名は「美ら海水族館」への経路としてご存知と思いますが、立ち寄った人は多くないのでは、と思います。
 町中には特に観光名所はありませんが、昔(米軍統治下)の沖縄らしい町並みが(米軍の影響を感じさせない姿で)残っている場所として、本島の中ではとても好きな町です。当時、米軍の影響を受けない町などあるわけもなく、自立できたのは住民の力なのだと思います。
 高い建物がなく、コンクリ作りの2階建て程度の丈の低い商店街に屋根付きの歩道が延びていて、印象としては石垣島の港近くの商店街のイメージに近く、のんびりと歩ける雰囲気が好きです。もっとも、石垣の商店街にはアーケードがあり、近ごろでは賑わいを取り戻しつつあるのですが、現在の名護は元気の無かった頃の石垣を見るような思いがします。
 自治体としても相当苦しいのだとは思いますが、「普天間基地の名護市移転」を推進する方針には、賛成出来かねます。わたしは数年前に、現地の辺野古(へのこ)で反対署名をしました。
 どうすべきかを提案できるものは持っていないのですが、何としても自力で元気を取り戻してもらいたいと思っています。
 写真の木は「ひんぷんガジュマル」と呼ばれ、沖縄家屋の特徴である、門の正面にある魔よけの壁と同様、町の魔よけの意味があるそうです。こんな立派な木を守り続けてきた町なのですから、魔よけを飛び越えた「基地の誘致」などを短絡的に決めて欲しくないし、知恵を出し合って盛り上げてもらいたいと思っています。

 下の写真は、海岸沿いに整備された公園内にある闘牛場のような施設なのですが、闘牛には使ってないんじゃないかなぁ……