2007.03.18
古宇利島(Map)—沖縄県
かなり前に船で行こうと考えていた頃「橋が架けられる」と聞くも、待つうちに月日がたってしまい、橋というものは、数年で簡単に出来るものではないと実感しました。
島の人々は「便利さ」「活性化」を待ち望んでいたと思いますが、「迷惑」も運んでくることに困惑した表情も見て取れました。それは、宮古島との橋が開通した頃の「来間島(くりま)(Map)」(1995年3月開通)と同じ状況に思えます。
便利な橋が出来れば、物珍しさから大きな島側から観光客が大勢押し寄せてきます。でも、小さな島側の生活環境というものはおいそれとは変えられるものではありません。それまで島内で完結していたものが、島外との付き合いを考慮する必要に迫られる訳ですから、それは大騒ぎです。物の流通はあっても、人の大量流入は初体験ですから、困惑気味の表情も理解できます。
訪問する側の印象も、勝手の違う状況にとまどってしまいます。地図には、この先と示されていても、軽トラックしか通れない道に「このあぜ道、戻ってこれるだろうか」と二の足を踏んだります。「踏み込むべきじゃない」と思う人はいいのですが、そんな人ばかりではありません。道路の整備も必要ですが、案内(情報)をきちんとしないと、島民と訪問者の動線が絡まってしまい、無用な混乱を招くのではないかと思います。
また橋の完成は、ひとつの「文化の壁」を取り払ってしまったわけですから、それを有意義に活用するよう努めるべきだと思いますが、言葉で言うように一朝一夕には叶うわけもありません。「閉鎖的な村意識の改革」なんて書くとどうも重苦しいですが、「交流の新世紀の幕開け」というような、明るい意識で取り組めればいいのでは、と思います。
下の写真は「村の墓」だそうですが、こんな風習も変わっていくのでしょうか……
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