2008.4.25
【沖縄県】
クボー御嶽
この島は変わらない──ここでは、良いこととしてとらえています。
この島には「久高島土地憲章」という「土地は島のもの」として私有を認めない、という制度が定められています。そのため、外部資本の流入や土地の売却などができないため、奇妙な開発など行われずに昔ながらの風土が保たれています。
小さな離島において、その考え方はある面正しいと思います。
土地を個人所有とせず、その上で生産されたモノだけを流通させて社会の血液とするモデルというものは、村社会の原初的な姿であったと思われます。
しかしこの島には流通させるモノなどはないので、その慣習は島を存続させるための共同生活を守るために営まれてきた、知恵の結晶なのかも知れません。
日本への返還前までは、島を守るための内部統制に必要だったと思われる「古い因習」と表されていたものが、近ごろでは外敵(資本)から身を守る役割を果たしているところが皮肉と言えるかも知れません。
橋の架かった古宇利島を今回のぞいてみると「リゾート開発反対」の看板などが目につきました。離島とはいえ一枚岩ではない島ではそんな混乱が生じることは、容易に想像がつきます。
国有地もあるため交流館やら新しい港などが作られてる箇所もありますが、それにしても「久高島という世界」は依然として保たれていると思います。
カベール岬への道
この場に立ったなら誰でも「この先には何が?」と前進しますよね。
ところが、ここから引き返したヤツがいます……
前回訪問時はあちこち寄り道し過ぎたもので、この光景を目にしたところでタイムアップとなってしまい「待ってろよ、あばよ!」と、小走りで港に駆け戻った覚えがあります。
そんな痛いほどの学習効果によって、今回は5時間半(ほとんど1日がかり)滞在しました。わたし的には予定を満足させてくれるちょうどいい長さでした。
しかーし、もっと遊び上手のプロのような一行がいて、人もほとんど来ないだろうと思われるような砂浜で「丸一日滞在します」というような装備で陣取っていました。きっと朝から来ていたんだろうと思われます。
おかげで一カ所プライベートビーチとしての独占ができませんでした。
今度は負けねぇぞ!
「この道を進む」というものが自分の中にも見えてくることを期待しつつ、「行くぞ!」と気合いをいれて歩み始めます。
前々回は自転車だったのですが、ここはやはり自分の足で切り開いていかなければ!
でも、ここは一本道。戻ってこなければなりません……
個人版「日本の道」に選びたい道です。
映画『豚の報い』で初めて久高島を意識したのも、この道だったことを思い出しました。
カベール岬
その道の先にあるカベール岬にて、その先にあるであろう「ニライカナイ」を望む図です。
沖縄に伝わる「ニライカナイ」とは、神様の棲む世界であり、生命の源であり作物や漁の豊かさを与えてくれ、死者の魂がたどり着く世界であり、その魂が神に生まれ変わる世界のことをいいます。
要するに万能神が願いを叶えてくれる世界であり、理想郷としてあこがれ慕う場所という概念をも包括したものです(と理解しています)。
われわれ大和でいうところの、見えない世界をひっくるめて表現する「あの世」に近いと思われます(なんて言ったら怒られるかも)。
「あの世」は天上にあるイメージですが、「ニライカナイ」は海の果てにあるとされています。島国なら当然と思われますが、日本でも太古の昔は海の果てを見つめていたそうです。
わたしは「あの世」には「はい、それまでよ!」のイメージが強いのですが、「ニライカナイ」にはもっと明るい「希望」や「楽園」、根拠は持ってませんが「転生」といった「死という事象」を苦しみから解放してくれるようなイメージを持っています。
──オイオイ、行っちゃうのかよ! って感じですね。
いえいえ、それはいまこの瞬間も「隣り合わせにある」ことを認識せよ、ということなんだと思います。
だから、清明祭(シーミー)に墓前で大騒ぎするのではないでしょうか。
カベール岬とは、琉球国造りの神であるアマミノキヨが降り立った地であるとされています。
集落の反対側の一本道の果てにある岬ですから、ここを象徴としたい心理はよく理解できます。
で、何が見えたかと言うと、
大きな船からヘリコプターが飛び立って陸に向かっていくなぁ。
あぁ、与勝半島(海中道路の付け根)のホワイトビーチ(米軍の軍港)に入る軍艦なんだろうなぁ。
オイオイ、何を見てるんだろうねぇ……
右写真は一本道から少し戻った三叉路で、角には大きなガジュマルの木があり、その下に長いすが置いてあります。
以前は、島の方が木陰で休みながら「ゆんたく」(雑談)していたのでしょうが、畑は荒れています。集落から離れた畑まで割り当てるだけの人がいなくなっているのだと思われます。
「伝統を守ってきた制度」が賞賛を受ける近ごろですが、現実にはそれでは島を存続できないという問題も抱えています。
外部からお金が入ってこないので、島には仕事はありません。若者は島を出て行ってしまいますし、残った老人が減ってしまえば畑はどんどん荒れていきます。
島の子どもはとても元気で、遠くからでも「こんにちはー!」と大きな声であいさつをしてくるので、こちらも大声で叫んで返事をします。前回訪問時の印象と変わらないということは、島の教育姿勢が一貫しているのでしょう。
しかし仮に子どもが増えたとしても、結局は働きに出て行ってしまうことになります……
でも、希望もあります。
海ブドウの養殖をしている方がいました。
「地方発送します」の看板を見つけたのですが昼時らしく人影が無く、後からFAXで注文しました。
無事に届いたのですが、注文者と送り先が違い代引きができず、振込先の連絡を待っていたのですが1週間たっても何もありません。
結局こちらから再度FAXすると夜に「○○ですぐぁー」「オレ、もう酔っちゃってさぁ」という電話……
お願いした時は「はい、わかりましたー」と張り切って、次の日には発送してくれたと思うのですが、後の集金にだらしないところが、まさにウチナンチュ(沖縄人)の男だねぇ! と思ってしまいます。
ちょっと、指導に行ってやろうか? とも思わされましたが、こういう人に頑張ってもらわないと、島は元気になっていきません。
──携帯のメールアドレスの中に「ganbare ore」の文字列がありました。かなり厳しいのかも知れません……
「ファイト!」と、声援を送ることしかできないのですが……
伊敷浜
上写真は海を望む礼拝所(うがんじょ)です。
この伊敷浜には昔「黄金の壺」が流れ着いたと伝えられています。
その中には7種類の穀物の種子が入っており、それより琉球の農耕が始まったとされているそうです。
ここまで話しが具体的になってくると、権力者たちの説教か? と感じてしまう男は、やはり神に仕えることはできないのでしょう(神に仕えるのは女の性に限られています)。
ヤシの実が流れ着いた、くらいなら付き合えるんですが……(決してバカになどしていません。自分の未熟さを嘆いているのです)
写真に島を取り巻くリーフが見えると思いますが、この浜では離れたリーフで砕ける波音が聞こえてきます。
その遠い波音の距離感が、周囲の空間に奥行きや深みを感じさせてくれて、目を閉じると、音量控えめのサラウンドの子守唄のようで、何度かウトウトしました。
リーフで貝などを採っていた方が戻ってきます。傘をかぶり、腰にびくを下げ、手には竿のように見える棒を持っていて、まるで浦島太郎のようで、格好いいんだわ。
やはり、こういう土地柄だから伝説が生まれるんだろうなぁと、この点には納得しました。
外間殿(ふかまでん)
この一画には「天」「太陽」「月」「竜宮」「国造り」「植物」「健康」の神が祀られており、様々な祭事の祭場となります。
他に何か必要なものはあるでしょうか?
仮に何かを答えたら「それはあなたの欲です」と言われそうな気がします。
奇祭として有名な「イザイホー」については、手書きによる島の案内図にも記載されておらず、もう行われることはない、もしくは触れられたくない、との意志にも感じられたので、言及しません。
興味のある方は調べてみてください。
霊感に通じる感性を持ち合わせていないわたくしですが、今回は、島で最も大切にされていて男子禁制のクボー御嶽にも立ち入りませんでしたし、少しは畏怖の念を心に刻めたのではないか、と思っております。
生命や生命力というものは純粋なものであることを、再認識させてもらえたと思う島の滞在でした。
しかし、純粋なだけでは島の存続も難しい状況にあることは確かで、自立はしていくのはかなり厳い道のりと思われます。
仮に、文化保存の観点などからの援助を受けながら存続できたとしても、その本質が失われてしまってはその意義自体が失われます。
島の選択を見守りたいと思います。
そして、オレも「ganbare ore」です!
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