2008/05/06

緑の島──伊江島、美ら海水族館、備瀬

2008.4.21
【沖縄県】

 阿良御嶽(あらうたき)


 伊江島は、美ら海水族館の正面に見える尖った山が印象に残る島です。
 これだけ特徴的な山ですから、きっと山を祀った御嶽があるだろうと探していました。ここはまさに城山(ぐすくやま。通称:タッチュー。この音は禅寺を囲んで建立される「塔頭(たっちゅう)寺院」に通じると、ネットで目にしましたがホント?)を仰ぎ祈る御嶽です。昔はこの辺りに港があったそうで、島を出入りする時にここでお祈りをしたそうです。
 もしわたしがここの島民だったとしたら、島の出入りには必ずここで祈りたくなると思われる、この島のありようを見事に表した造形だと思います。
 ──ここは山に対する祈りの場と思われるかも知れませんが、城山を象徴とした島全体、祈る自分を取り巻く世界全体に対して祈りを捧げる場なのだと思います(後日にまた記述します)。

 この山は、その形状から火山の噴火活動から生まれたかに思われますが、どうも違うようです。
 伊江村ホームページによると「島より7千年も古く、世界でも珍しいオフスクレープ現象(古い岩盤が新らしい岩盤に潜りこむ中で一部が剥がれて新しい岩盤の上に乗る現象)によって形づくられました」とあります。
 これでは何のこっちゃ? ですよね。
 おそらく、城山の岩はチャートという深海底に堆積した有孔虫を起源とする岩石とのことなので、それが固結した状態でプレート運動などによって海溝まで運ばれて沈み込む時、潜り込まずに巨大な岩片として取り残されて、未固結の新しい地層を突き抜けて上に顔を出した状態で島になった、のではないかと思われますが…… ちがったらゴメンナサイ。


 ニャティヤ洞窟


 ここは戦争中、防空壕として多くの人を収容したことから「千人洞(せんにんがま)」と呼ばれるほど広い洞窟です。
 そんな呼び方も伝えていく必要があるとは思いますが、中に入ると息を潜めているかのような霊気が感じられる御嶽でもあるので、説明はきちんとしなければと思います(多くのガマと呼ばれる洞窟も同様の経緯を経ていると思われます)。
 女性が持ち上げると子宝に恵まれるという「力石」が陸側の壁面に向かって安置されていて、海側の岩に向かって祭壇が設けられています。その点について調べてみたのですが、これ以上見つかりませんでした。
 おそらく、命を育む島に向かっての子孫繁栄の祈りと、命の糧(恵み)を与えてくれる海と、生命の源とされる「ニライカナイ:海の彼方にあるとされる楽土(詳しくは後日)」への祈りの場なのだと思われます。
 いずれにしてもこの洞窟は、島民にとってはかけがえのない場所に違いないと思われます。


 伊江島灯台


 島内には時々英語の道路標識があったりしますが、思ったより威圧感なく静かに米軍施設が陣取っています(島面積の35%を占めているとのこと)。
 ここには戦争当時に日本軍の滑走路があったので(それも勝手に作られたのでしょうが)、攻撃の重要目標とされたおかげで徹底的な攻撃を受け、戦後は全島完全に米軍基地にされたと聞きます。その後も相当ひどい目に遭わされたと……
 ──現在も繰り返される米兵の事件に対して、これも訴え続けていかなければいけないのですが、彼らの辛い過去は取り戻せるものではありません。
 そんな経緯ですから、上写真の演習場と下写真の補助飛行場が残されていて当たり前、というような離島です(沖縄本島以外の離島で米軍の大規模な施設があるのはこの島だけと思われます。島の面積も広いですし)。
 ──次回以降でも触れますが、実質的に手を下しているのは日本政府であり、それも「思いやり予算」というわれわれの税金から拠出されているわけですから、これを「国防費」ととらえるかも含めてわたしたちには意見を言う権利があります。


 伊江島に話しを戻します。前回訪れたとき(1泊したのに雨降りで何も見られなかった)「たばこ畑」が広がっていたとの印象が残っています、
 その時も、米軍基地の維持に対する補償として、栽培に適さない土壌の土地改良(石の掘り出し、土の入れ替え等)に加えて、たばこ栽培の認可を与えたのではないか、と思っていました。
 わたしの意見ですが、伊江島にとってはその「取引き」(表現は悪いかも知れませんが)によって、現在の「緑の島」を作ったわけですから、成功だったのではないかと思われます。
 この先の未来は、島民自身が考えていく必要があるわけですが、そんな試みも花開きはじめたようです(次の項)。
 ──上写真の米軍補助飛行場には以前「ハリアー」が飛来したこともあるそうですが、今は民間の道路が滑走路を横断していたりして、ほとんど使われていないようです。もし返還されたなら妙な建築物などは作らず、緑や色とりどりの畑にすることで、人々が遊びに来られるような一画にしてもらいたいと願っております。


 リリーフィールド


 ここが島民の力で作り出された伊江島の新名所になります。
 前日から始まった「ゆり祭り」の様子がニュース映像で流れており、神戸からこのために来たなどのコメントもあったりと、盛り上がりを見せていて楽しみにしておりました。
 実際、フェリーで車を運ぼうと考えていたら「満車です」と断られたり、島でレンタカーを借りるのも「予約で一杯です」等(何とか借りられましたが)、観光バスも来ているし、「平坦な島」のうたい文句に騙されてレンタサイクルを押している人も結構見かけましたし「本当に盛り上がってるなぁ」と、少したじろぐ程でした。
 肝心のゆりの花ですが、まだ3分咲き程度で時期尚早という印象です。
 ここリリーフィールドは人工的に造園された「ゆり園」で、畑のような畝に沿ってゆりの株が整列しているので「丹精こめて育てたゆりを見てください」と言われているようで、わたしはかなりシラケてしまいました(育てた方に文句を言うものではありませんので、ご容赦下さい)。
 これはわたしの好みとイメージの問題と思うのですが、頭の中には宮古島の東平安名崎に自生(だと思う)して咲き乱れているゆりの花があったので、花壇のゆりには目もくれずに場外の岩場に自生していると思われる花の写真を撮ってきました(そこだけ聞くとすごく失礼なヤツだよね)。
 まあ、この島でも宮古島を目指しているのかも知れませんし、遊歩道などを埋め尽くして一面が「ゆりの丘」になったらとても素晴らしいだろうと思うので、今後の健闘に期待しております。
 でも、これだけの話題作りをして盛り上げて人を呼んでいるのですから、現時点でも大成功なのではないかと思います。
 「さぁ、次なる島おこしは何に着手しようか?」との気合いが聞こえてきそうで、頼もしい次第です。
 ──次回以降に登場すると思いますが「ヨナグニウマ ふれあい広場」の「ひめまる」さんが、伊江島での馬の飼育法について相談を受けたそうです。


 城山


 シンボルである城山の周りはなだらかな土地が広がっていて(決して平坦ではない)、そんな畑では作物たち(たばこだと思っているのですが、違ってたらご指摘下さい)が、ヘリコプターが降りてくる空に向かって新緑の葉を広げています。
 土地も豊かにしてもらったことですし、米軍を追い出して「平和を勝ち取った島」となれば人気が集まるんじゃないかなぁ。
 そんなモデル島になれたとしたら、とても有意義だし苦しめられた先人たちも喜んでくれるのでは、と思うのですが……


 美ら海水族館


 フジとの再会です!
 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、彼女は病気で尾びれを失い(人間の足に相当するのではないか)泳ぐ意欲を失いかけているところを、飼育係や合成ゴム会社の人たちの奮闘によって開発された人工尾びれを付けて、再びジャンプができるようになったイルカで、映画にもなりました。
 午後のお昼寝の時間(なんてあるのか?)だったのか、動きが少々緩慢な気がしました。説明で「フジが飼育されはじめて30年になる」と聞き心配になって調べてみると「最高齢は50歳以上」とあったので、健康であればまだ大丈夫とひと安心。
 隣のプールでショーが始まり音楽や笛の音が聞こえてくると、こちらのプールにいるイルカたちも急に元気に泳ぎ出し、ジャンプしたりします。これはエサが欲しいとのアピールなんだろうと、素人目にも分かるところが可愛いと思ってしまいます。
 ずっとフジを注目していることに気付いてくれたのか「ちょっと構ってやろうか」と、近くで顔を出してくれるようになったと、わたしは思っています。
 この日は人工尾びれを付けており、小さなジャンプを見せてくれました。
(下写真はプール横の窓からの絵で、ガラスの反射が写り込んでいます)
 どうか、お元気で! また会いに来ます。


 しかし、美ら海水族館の人気はもの凄いことになっていて、日曜には高速道路も渋滞してるし、楽しみにしていた大水槽前のベンチも満員で腰掛けられませんでした(みんな通になってきている感じ)。
 オープンから6年目を迎えてすっかり人気スポットとなり、自称の広報ボランティア活動も役目を終えたと思うところです……


 備瀬

 美ら海水族館を出て名護の反対方面に向かうとすぐ、備瀬の集落があり「備瀬のフクギ並木」として見事な町並みが残されています。
 ──久米島の「チュラ福木」と同じ木ですが、地元の表記に倣いました。
 フクギとは垣根みたいなもので、家を囲うように植えられていて、台風の防風や防砂の役目もあります。
 各家がフクギを植えているので、家の間の通りは並木のような光景になりますが、並木道を作ろうとしたものではありません。
 ただ、フクギで囲まれた家は陽当たりが悪くなっているように思え、古木を大切にしていると家がジメジメしそうな気もします。成長が早い木なのではないのでしょうか。
 立派なフクギ並木と昔ながらの町並みが残されていて、観光客にはとても心引かれる光景なのですが、夕方ということもあってか、蚊が多くてカメラを構える間にもあちこち刺されます(住民の方はどうされているのでしょうか?)。
 我慢できず海辺に逃げ出すと、波打ち際に作られたコンクリートの護岸とフクギ並木の間の空き地に、各家ごとにベンチや夕涼み台が設置されています。
 下写真は広場に設けられたテラスのようなところですが、備瀬の海辺からは伊江島の城山越しに夕日を眺めることができます。
 こんなところで夕日を見ながらビール飲んだらうまいだろうなぁ。
 さぁ、ホテルに帰ってビール飲もっ!

 美ら海水族館の後に、是非いかがでしょうか?

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

沖縄、楽しそうですね!確かに宮古島の東平安名崎のユリは、自生している感じがありましたネ。フジも元気そうで何よりです。ハイシーズンの水族館は、去年で懲りましたので、いつかのんびり行きたいと思っています。宮古島から帰ってきて、DVD鑑賞していましたが、「ニライカライからの手紙」を観て号泣しました。おじぃ、しぶすぎです。では、更新を楽しみにしています。

mizu さんのコメント...

宮古島はいかがだったのでしょうか?
写真楽しみにしていますので、整理できたら見せてください。
「ニライカナイからの手紙」は竹富でしょうに。
わたしはきっとその辺りから蒼井優ちゃんを気に入ったんだと思います。主題歌の「太陽ぬ花」好きです。
また伺うときにはよろしくお願いします。