2008/05/08

空港が必要な理由──伊平屋島

2008.4.22
【沖縄県】

 我喜屋(がきや)ダム


 フェリーターミナルの喫茶で少し遅い昼食を食べていたら、カウンターで50代くらいのおばちゃん(おばあではない)が仲間と話していたのですが「それは言語ですか?」と聞きたくなるような音声を口から発しているのに驚かされました。
 言葉の区切りなどは無く、音(おん)の語尾を伸ばして次の音がつながっていく、早口の発声練習のような、中国語のような「音」で会話していました。久しぶりに「異国に来たか?」と感じさせられた、言葉とは思えない会話でした。

 上写真は05年に完成したダムです。離島ですから水の労苦は絶えなかったと思われるので、島民の悲願だったことなのでしょうが、宿のおばちゃんによると「また人口が減り始めている」のだそうです。
 大きな公共工事が続いたので若者がUターンで戻り始め、村営の新しい2階建ての集合住宅をいくつも作ったのですが、仕事が無くなるとともにまた出ていく人間の方が多くなってしまった、とのことです。
 「道路も、橋(後出の野甫大橋)も、ダムも、作る物はつくってしまったから、もう仕事はない」のだそうです。
 港にある大きな円筒形の構造物に「ムーンライトマラソン」のイラストが描かれています。そのマラソン大会は、夕方から夜にかけて開かれるので日焼けの心配がないと、女性に人気があるそうです。
 その建物は何か聞いてみると「あれは、空港建設を当て込んで作ったセメント工場。まだ着工まで7〜8年はかかる」のだそうです。それまでの間、他に仕事がなければ若者達が出ていってしまうのも仕方ないと思われます。
 しかし、最初からそんな公共工事を当てにした若者のUターン誘致を考えること自体、間違っているのではないかと思われますが、島民にしてみれば「千載一遇のチャンス」に思えたのかも知れません。
 「残る工事は空港だけ」では、その先も同じことの繰り返しになるのではないでしょうか?
 ムーンライトマラソンに参加する女性向けに考案して大変受けたという「黒糖キャラメルパウンドケーキ」のように、島民の力で工夫していく必要があると思います。
 伊平屋島の人たちを責めるつもりはないのですが、Uターンで戻ってきた若者たちが生活できず、再び去ってしまうような地域の自治体は、自治能力なしと見られても仕方ないと思われます。
 その上「空港がなければ活性化は不可能」だなんて本当に考えているようでは、いくら税金をつぎ込んでも染み込んだらそれで村も終わり、ということも考えられると思います。
 とても失礼な言い方かも知れませんが、もう少し自分たちで工夫された方がいいのではないかと思います。
 ──本項を書き終えて、次項の村の合併について調べていたら、伊平屋の村長は「財政がパンクするまで、身を削って頑張るしかない」との覚悟があるそうですが、破綻後の生活がどうなるのか村民に伝わっているのでしょうか? あまりにも無責任と思えます。
 「てるしの(太陽に満ちあふれる)の島」と言われているそうですが、ひょっとするとお金を持った「てるしのの神様」を待っているのでしょうか。


 神アサギ──島尻集落


 ここ伊平屋島と昨年訪れた伊是名島は近い距離にあり、地理的には兄弟島といえるかも知れません。しかし、島に渡るフェリーは共に村営なので沖縄本島の運天(うんてん)港と各島を往復するだけで、お互いの島を経由してくれません(旅行者にとってはスンゲェ不便なんですけど!)。仲が良くないのだろうか?
 ──平成の市町村合併で、伊是名村・伊平屋村の合併案は伊是名島民の住民投票によって否決されたそうです。伊是名は「単独でも頑張ろう!」と士気が高まったそうですが、伊平屋ではあきらめムードとなったようです。

 歴史的には面白いことに、ふたつの島からともに琉球王が生まれています。
 三山時代(北山:今帰仁、中山:首里、南山:糸満)と言われる1400年代に、その勢力を制圧して琉球最初の統一王朝を確立した、第一尚氏王朝の尚巴志(しょうはっし)の祖先の屋蔵大主(やぐらうふしゅ)は伊平屋島出身であるらしく、またその第一尚氏王朝の後継者の没後に国王となったのが伊是名島出身である尚円王(しょうえんおう。昨年の伊是名島で尚円王劇の練習に励んでいた宿の娘さん元気かなぁ? 可愛かったのよ)で、どちらも同名のため第二尚氏王朝と呼ばれています。
 上述のように、伊是名島は尚円王自身の出身地であることから、銅像をはじめゆかりのモノを多く見ることができたのですが、伊平屋島では国王との関連を示すモノを見ることは出来ませんでした。
 上写真は「神アサギ」と言い、首里からくる祝女の休憩所で、顔を見られないように屋根が低く作られているとのことです。
 同様のものは伊是名島にも残っており、どちらの島も王朝を、また琉球王朝もどちらの島をも大切に扱っていたのだと思われます。
 またこの島の伝説として、神武天皇の祖母は伊平屋島(海宮(あまみ))出身との言い伝えもあり、昔から日本本土とのパイプがあったとも考えられているようです。


 フィーフィーガマ


 上写真は野甫(のほ)島の裏側にある小島で「フィーフィーガマ」というキジムナー(子どもの妖怪)が棲んでいたと言われる洞窟があります(場所は特定できませんでした)。
 沖縄の多くの土地で、キジムナーは木に棲む精と言われていますが、ここでは洞窟を住みかにしているそうです。
 ──上述の大和の神話なんかより、こっちの妖怪の民話の方が楽しいと感じてしまいます。
 この地への入口から出てくる車を見かけたので、やぶの道に入り込んでみると、小島との間の浅瀬でやぐらを組んでボーリング調査をしていました。こんな所にも何か建造物を作ろうとしているようです。
 いまどき、この島の洞窟には族議員かなんか住んでいるんじゃないの? などと思ってしまいます。


 野甫大橋


 上写真は、05年に掛け替えられた野甫大橋からの景色です。お金とか、仕事とか野暮な話しは抜きにして、ここからの海の眺めは見事でした。
 やはり自然の眺めは! と見回してみると、コンクリートで固められていないのはこのあたりだけかも……


 クマヤ洞窟


 この「クマヤ」って名前どこかで耳にしたことありませんか?
 天の岩戸の伝説で天照大神が隠れた洞窟の名前です(籠穴:クマヤ)。
 やっぱりこの島は琉球にあるのに、大和寄りであるのが変だよね。
 お互いは別に敵対関係ではないにしても、大和側に従順になった理由が過去のどこかの時代に存在しているような気がします。
 それがいけないとは思いませんが、何があったのか知りたいと思ったのですが、資料が残ってないのか表に出せないのか……

 また岩石の話しです。ここも伊江島の城山同様のチャートという岩石のすき間に、水や風や砂によって浸食されてできた洞窟だそうです。沖縄で多く見られる、石灰岩が水などの浸食受けてできた鍾乳洞とは形成過程が違います、ということを伝えたかったわけです。

 大和の伝説などお構いなしに、地元の方はこの中でお祈りをしています。
 「こっちの方が先だよ!」とでもいうかのようなバイタリティに感じいりました……
 ──この入り口は結構狭くて、お年寄りには危ないように思えますが、へっちゃらなようです。


 田名(だな)池


 田名地区周辺には水田があり、その水瓶として田名池が地図に掲載されています。
 その池を探しに行ってみると、泥水がうっすらと張っている程度の水たまりでした。上写真はその水源地と思える湧水池です。
 山は結構険しい島ですがこの程度の湧水しかなく、水理的には貧しいという印象を受けました。
 地上に湧き出ることなく、地中や海に流れてしまっているのではないかと思われ「ダムの必要性」について納得した次第です。

 空港の必要性について改めて考えてみましたが、確かに県庁所在地である那覇からの移動時間が最もかかるのは、この伊平屋島かと思われます(運天港まで2時間強?+船で80分)。波照間島でも、石垣まで飛行機で50分、高速船で60分(飛行機はまだあるようで25分)ですから、言い分も理解できます。
 ですが、山を削って作った慶良間空港や、波照間空港への空路も、あの離島の強い味方であった「琉球エアコミューター」が撤退している近ごろですから、新たな空路設定は大変な困難が待ち受けていると思われます。そこに村の出資を求められることは容易に想像できます。
 その引き替えに、地理的な不便さへの援助と思われる、人口1,500人以下の島では恵まれている診療所と歯医者の完備が見直されることもあり得ると思います。
 ──宿のおばちゃんの「両方とも家族の住居が付いている」の言葉を、わたしは自慢と受け止めたのですが……
 そこまでの代償を払っても「島の将来性にかける」のであれば、現時点から島をあげてフルスロットルで商品開発や観光誘致に全力で取り組むべきではないか、と思われます。
 そんな姿勢が伝わらなければ「空港が必要な理由」も理解されないのではないでしょうか。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

伊平屋村の空港の件ですが、現時点では「空港の為の空港」「工事の為の空港」と思われても仕方がないかもしれませんね。政治家や土建屋は作ってしまえば「後は野となれ山となれ」で済むのでしょうが。

mizu さんのコメント...

緊急時に使用できる施設があるとないとでは、救える人命も失われるおそれも生じるので、島の規模に相応した最小限度の設備は必要であると思われます。
フル規格ではなく、荒天時以外(台風接近時の対応は無理)の利用を前提とした空港が欲しい、との要望であれば文句を付ける方がおかしいと思われます。