2008.4.24
【沖縄県】
斎場御嶽(せーふぁーうたき)
海沿いの幹線道路から脇道にはいり、商売っけのある建物が増えたなぁと思いながらほどなく到着。「あらまあ、キレイになちゃって……」
きちんと整備されていて、駐車場も広くなり管理棟を建てて入場料を徴収しています。
思わず受付の人に「変わりましたねぇ」と声を掛けていました。
そりゃねぇ世界遺産ですから、管理はちゃんとすべきです。
調べてみると、世界遺産に登録されたのが2000年で、有料化されたのが07年夏とのことなので、遅かったくらいかも知れません。
右写真は、琉球国造りの神であるアマミノキヨが降り立ったとされる久高島を遥拝する「三庫理(さんぐーい)」です。(右写真:木陰の合間の久高島、分かります?)
以前は閑散とした域内でもお祈りをしている方がいて、入れなかったりしたものですが(入り込んで見学させてもらったこともあります)、この日はそのような光景は見られませんでした。お客さんも増えちゃったしねぇ。
──静かな御嶽に祈りの声が響く情景が心に染みて、とても強く印象に残っているので何度も足を運んでしまうのだと思います。
この場所は琉球(あえてそう書きます)で最も大切にされる御嶽で、何も知らない者が訪れたとしても、そこに漂う尋常ではない空気を感じ取ることが出来ると思われます。
どこの御嶽でも聖地とされる空気を感じることはできると思いますが、ここの礼拝所では具体的な祈りの対象が、岩や島として現前するので、とっつきやすいのではと思います。
それは、最も大切にされる「琉球の始祖」を拝む御嶽なので、多くの人に認められ人の心をまとめる必要からある程度の具現化が求められ、このようなの象徴的な礼拝所が造られたとも考えられますし、もしくは、起源そのままの原初的な姿を残しているためかも知れません。
域内にある、砲弾で空いた穴に雨水が溜まった池のような存在も、そのままの状態で「保存」というより「あるがまま」にしておこうとする精神性には、聖域としての気高さや、祈りを捧げる人々の誇りが感じられる気がして、いつも圧倒される思いです。
平和祈念公園
修学旅行と思われる一行が平和祈念資料館をバックに記念撮影をしています。
「何で資料館がバックなんだろうか?」と考えたとき、そう言えば自分たちも広島の「原爆資料館」をバックにした写真が残されていることに気付かされます。
それは、きっと忘れないように、思い出させたいために、キレイな海の景色などではではない「資料館」の建物をバックに焼き付けたかったのであろうことを、この歳になって思い知らされました。
この手の公共施設の喫煙所は入り口付近にしかないので一服していると、修学旅行の一団がやってきて「1時間半後にこの場所集合」の声と共に資料館に入っていきます。
大体の連中は30分もしないうちに出てきて、ベンチでごろ寝してたりするわけですから(さすがに一服ふかしてるヤツはいませんが)詳しく見学しちゃいないと思われます。
そんな連中でも、心のどこかに引っ掛かっていたり、何十年後かに記念写真を見たときによみがえるかも知れないわけですから、「資料館を見る」という経験をさせたり、記念写真にそれを焼き付ける等の、教育というか、指導・アドバイスは大切なことと思われます。
──わたしは数年前、広島を再訪しました。
この平和祈念公園は、日本返還前から琉球政府立公園として整備されていて、「平和の礎」建設計画の背景は分かりませんが、沖縄県主導で作られたモニュメントということになります。そこへ毎年慰霊の日に日本国首相が献花にやって来ます。
この構図は、沖縄の県民感情に配慮した日本政府の「思いやり」として哀悼の意を表する場を設定するための「装置」でしかありません。
彼ら修学旅行生にそこまで理解させようとしても無理かも知れませんが、将来何かのきっかけで考えることがあった時、(変ぼうする可能性はあるにせよ)「奇妙な国、日本」を知るためには格好の題材となるのではないでしょうか。
世界遺産などではなく、日本の「未来への遺産」として語り継いで、これからも考えていく必要があると思われます。
ひめゆりの塔
この施設が訴えてくる切なさは、具体的な人の名前と残された写真が生々しさを感じさせる点にあると思われます。
資料が残されていない人の分まで、その体験を訴え続けなければいけないという使命感を背負っている訳ですから、ただでさえ死にきれない思いを持っていたであろうのに、なおのこと魂が休まらないのではないか、と思われてなりません。
ここでは女子高生の一団が見学していました。
同年代と思われる写真を見た彼女らに「どうするよ?」と聞いてみても、答えにならないのではと思われます。
「おじさんだって、君たちをそんな目に遭わせたくない」とは思うのですが……
何が出来るのだろうか? ではなくて、出来ることから始めないといけないでしょう。
われわれには、経験云々ということは語れないわけですから、先に知った者が知らない者に対して、知りうることの多くを可能なだけ伝えることしかできません。
もし可能であれば、自分がどこで何を知り、どう感じて、どう考えているのかを伝えることが必要であるし、高校生に対しては先輩であるわたしたちの義務なのではないか、と思います。
そして、その祈りが伝わるように……
ここは「ひめゆり同窓会」(財団法人)という組織が運営している施設だそうなので、門前の道路の反対側に上写真のような土産物店が並んでいても文句を言われないようです(昔からの経緯があるのかも知れませんが)。
それにしても、右側のTシャツを持ってるおばちゃんの声がひときわ元気で、ひめゆりの塔から出てきたとは思えない騒々しさが印象に残りました。
──いや、生命力にあふれている、と表現すべきではないだろうか……
喜屋武(きゃん)岬
喜屋武と書いて「きゃん」と読みます。
さて問題「八丈島と言えば?」 「八丈島のきょん!」 はい正解。
──それにしても古いよねぇ。「意味分かんないしー」という方はネットで調べてください。すぐに出てきます。
ここは沖縄本島最南端の岬で、那覇空港に着陸する飛行機が上空を通過していきます。
人が少ないせいで目立つのかも知れませんが、この岬で見かける人たちはちょっと気味悪い感じです。
ワゴン車で軽食・喫茶を提供しているお店の兄ちゃんが変に愛想良く近寄ってきたり、三脚を立ててひとりで写真撮ってるくせに人の後を付いてくる兄ちゃんがいたり……
わたしも好きでよく行きますからあまり言えないのですが、大きめの島の最果ての地ってどん詰まりですから、たどり着いたはいいけどこの先どうしようか? って感じの人がたむろする吹きだまり的な場になってしまい、奇妙な人を見かけることがままあります。
仲間だと思われたくないのでそそくさとこの場を後にしましたが、飛行機が飛んでいるあたりが雰囲気を損ねている気がします。
美々ビーチ いとまん
かなり以前から、那覇空港着陸直前の右下に見えた「またこんな埋め立てしちゃって」と思っていた大規模工事が終わり、その先端部に人工海浜「美々ビーチ いとまん」(下写真、上はマリーナ)ができていました。
近ごろはやりの、総合マリンレジャー施設とでもいうのでしょうか、入場料(駐車料)500円取られます。
観光バスを十数台も連ねてやってきた高校生と思われる団体のマリンスポーツ大会が開かれていました。
ビーチバレー(2面?)とビーチサッカーが同時にできる広い砂浜があり、昼食はバーベキューをしたらしく鉄板の残骸が山になっていました。
その様子を見る限りは、何百人もが参加するイベントにはこれくらいの規模がないと運営はできないと思えるので、有意義な施設なのだろうと思われます。
これまで糸満という町に立ち寄ったことがなかったので、今回は是非にと思っていました。
──いつもここを通る時は「飛行機に間に合わない!」と焦っている場合が多くて……
糸満という町は昔から漁業が盛んなところで、かなり遠くの海にまで出かけて漁をしていたらしく、訪れた漁師のことを「糸満」と呼んでいたそうです。
子どもの多い世帯などで口減らしなどのために、漁業での修行をさせるという名目で、子どもを売りに出す「糸満売り」ということも多かったほど、漁師の生活は豊かだったそうです。
その港は、そんな名声(?)から想像するものよりはるかに小さなものでした。
昔は大きな船など無いのでこれで十分だったのでしょうが、大きな港が欲しくなれば埋め立てをするのは、港町の常ではあります。
埋め立て地では大型のドックが稼働しています。
久米島の帰りにフェリーで渡名喜(となき)島に寄るつもりが「ドック中」で便数が減ったため断念したのですが、そのフェリーがここで検査していました。
こんなところで会ってもなぁ……
隣接する豊崎という埋め立て地には「アウトレットモール あしびなー(神前にある男女の交流場)」という、若者の関心が集まるであろうショッピングモールがあります。
いまどきはどこも一緒と思ってしまうのですが、沖縄では北谷よりもオシャレに思えたので、流行るのも納得ではあります。
そこから那覇空港方面には臨海部分を横断していく橋のバイパスができ、10分程度で空港まで行ける立地にあります。
沖縄観光の必需品であるレンタカー会社も、ここに大きな事務所(駐車場)を建ててお客さんをマイクロバスで運んでいます。
高速道路の空港線も、もうすぐ近くまで開通しそうな状況からすると、那覇を取り巻く状況も大きく変わるかも知れません。
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