2008/05/08

基地問題果てしなく……──辺野古、楚辺

2008.4.23
【沖縄県】

 辺野古(キャンプシュワブ)


 95年に起きた米兵による少女集団暴行事件を発端に、一気に県民感情が爆発した米軍基地撤廃要求運動の沈静化を図るための提案である、96年の「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」に納得した県民ですが、米軍普天間基地の移設先として提案されたのが「キャンプシュワブの拡張による辺野古沖への新滑走路建設」であったため、県民の間でも動揺が走りました。
 それから12年。現在も継続中の座り込みの反対運動、計画変更等々の様々な動きがありましたが、ひとつの方向性として06年の名護市長選挙でただひとり移設受け入れに前向きな候補が選ばれました。これで基地建設が一気に進むとは思えませんが、着実に外堀が埋められてきたように思われます。
 実際現地でも、上写真の周辺は変化ありませんが、テントを張って座り込んでいる堤防までの道路が舗装されたり、漁港周辺の施設等が整備されたりしています。
 そんな行政に対して「ご機嫌取りか?」なんて問うた時、「将来への準備です」などの答えは聞きたくもありません……
 また、国道から集落への入り口の目につきやすそうな場所には「国際海洋環境情報センター」なる施設が作られています。
 深海底の掘削調査をしている、あの地球深部探査船「ちきゅう」を有する独立行政法人の関連施設だそうです。
 言いたいことは分かりますよね、政府はいくらお金が掛かろうとも、ここ辺野古に新しい米軍基地を作ろうとしている、ということです。
 確かに、機能を分散・整理・縮小しても、基地をひとつ閉鎖することは難しいことなのかも知れません。
 沖縄県民は、二度と戦争をしない国である日本に返還されたことを、喜んでいたと思われます。
 それだけに、その国が新しい基地を沖縄の地に作ろうとすることに、集団自決の記述問題等と同等以上に「また裏切られた」との心情が強まることも確かだと思われます。
 そんな、先祖への顔向けができないと感じる人が多い土地柄で強行しようとする神経が理解できません。


 潟原(かたばる)


 上写真は、沖縄の砂浜です。
 車で走っていてこの湾内全体の砂の色が赤いことに驚き、車を止めました。その場所には何とあったか忘れましたが、英語で駐車禁止とあります。大体想像はついたのですが調べてみると、まさに米軍の水陸両用車が出入りする場所なんだそうです。その車両が陸地の赤土をばらまいて回ったのと、その訓練施設から遠慮無く垂れ流された赤土が湾内に広がってしまっています。
 ──海沿いには国道も通っているので、そんな車両が通るときには車の通行を遮断して大名行列みたいに国道を渡っていくのだと思われます。 
 これはやめさせられることであるし、やめさせなければいけません。
 場所は貸してやっても、復元できない環境破壊まで許す者などひとりたりともいやしません。
 日本政府はこの赤く染まった広大な砂浜の砂を、われわれが納めている税金の「思いやり予算」から「赤砂の撤去費用」などと支出しようとでも考えているのでしょうか?
 現在でも本島の砂浜は色味が付いているのに「沖縄の砂浜は赤いんだよ!」などと遊びに来る人などいると思われますか?
 それこそ、基地だけのために存在する島になってしまいます。


 楚辺(そべ)通信所跡地


 「像の檻(おり)」を覚えておられますでしょうか? 
 「自分の土地になぜ立ち入ることができないんだ!」の声を。
 米軍施設使用の賃借契約を地主が拒否し、県知事も土地強制使用の代理署名を拒否したため、国による不法占拠状態となり、混乱を避けるために立ち入りを制限する柵が設けられた時分に訪れたことがあります。柵の外に報道関係者用(?)の駐車場があって、警備の人が立っていたこと覚えています。
 06年12月に日本に返還され、昨年の6月にさら地にされたそうです。
 到着した時の第一声は「ウォー、真っさら。これが平和ってもんだよな」というものでした。
 上写真のモノがぽつんと立っているので近寄ってみると「ゴルフボールは家に持ち帰らずみんなで使いましょう」の看板とゴルフボールがあります。
 基地の跡地で「みんなでゴルフ」とは素晴らしい!
 ここを基地反対のモデル地にすべきだ!
 などと感慨にふけって、ぐるーっと歩き回っておりました。
 すると観光バスから社会見学の高校生の群れが降り立ち、ボランティアの方の説明が始まったので一緒に聞いていました。
 その中に「北部に最新のレーダー施設が出来たので、不要となったこの土地が返還されました」との説明があり、そう言えば聞いたことあると、これまでの歓喜のムードが一転しました。
 「そんなに返して欲しいならどうぞ、別の場所に最新の施設を作りましたから。そのかわり、もう賃貸料を払う義務はありませんから」そんな政府の声が聞こえた気がしました。
 ゴルフボールは、そんな捨て台詞に対するせめてもの抵抗というものだったのかも知れません。
 最新のレーダー施設はキャンプ・ハンセン(金武町周辺)内に建設されたそうです。


 イヤ、何がまいったかって、日本政府の「基地を作ろうとする姿勢・意欲」に対してです。いたちごっこしていても、こっちが先に逝ってしまうのではないかと思うと、地域闘争や戦いの相続というものが理解できるところです。
 親の恨みではありませんが、意志というものは次の世代に受け継ぐことはできますが、いつまで戦いが続くのかという泥沼化にもなりかねません。
 現在の状況を変えるためには、やはり政権を一度転覆(変えて)させて、何か政治家の言葉のようですが「民意を問うてみる」というような荒療治でもしないと変わりようがない、という気がしてきます。
 それで何も変わらなければ仕方あるまいと、あきらめるしかないとの気もします……
 「戦争と平和」の問題とは「近所付き合い」と同じで、永遠の命題であることは確かであるとは思うのですが……(何かトーンダウンしてない?)
 自分ひとりでは(沖縄だけでは)決められない、ことに他なりませんから。


 読谷(よみたん)村役場


 さて、気を取り直して!
 ここは基地問題に毅然と立ち向かった読谷村の村役場です。
 上写真の左側の道路は旧米軍補助飛行場の滑走路で、返還された飛行場すぐ脇の土地に村役場(写真奧オレンジの屋根)を建てて、全面返還を迫ったと聞きます。
 米軍が最初に本島上陸した地点となるこの地域は、ほとんどの土地を接収されてしまったため、自治体の体をなさなかったそうで、村の自治は土地を取り戻すことから始まったという境遇です(像の檻も読谷村)。
 現在ようやく主要幹線道路である国道58号の整備が始まっています(こっちが本道になるのか?)。
 土地を取り戻せば、いかようにも活用の方法があるのですから、有効利用を皆さん考えてください。
 ──隣の北谷(ちゃたん)アメリカンビレッジに対抗しなくていいですから……
 しかし一部に「For Rent」なる看板の出された新築のマンションが建ってたりします。米兵向けの賃貸のようです。
 安直なヤツは放っておいて、村としての舵取りに期待しています。


 座喜味城跡


 この日は天気があまりり良くなかったのと、被写体もパッとしないこともあり、花の写真を載せてみましたがこれもあまり明るいものではありませんね。
 ですが今回、城壁から見渡す風景から「像の檻」が消えていることだけは、しかと見届けました。


 嘉手納基地


 嘉手納基地への進入路付近になります(奧は北谷町)。
 大雨の予報のせいか、着陸してくる戦闘機はありません。
 しかし時折、爆発音か? というような轟音が基地内から響いてきます。周囲の人は平然としていますが、これで普通の生活をしろと言う方がおかしいと思うような環境です。
 前日ニュースで、防衛施設庁の施設が嘉手納町役場隣(基地の脇)に移転してきた映像を見ました。
 町でのインタビューの反応も仕方のない歓迎ムードで、基地の恒久化は困るが町の活性化は歓迎するという現実的なものでした。
 ここでは基地との共存はやむなし、との空気が主流のようなので周囲が口を出すものではないと思われます。
 ──本心は、決してそうではないことは理解しております。


 コザ


 コザ(沖縄市)も完全に基地依存の町ですが、こちらの落ち込みぶりは目も当てられない状況です。
 胡屋(ごや)の交差点付近に立派なアーケードが迷路のようになっている商店街があるのですが、まるでゴーストタウンという感じで、昼間も人通りが少なく時折見かけるのはお年寄りばかりです。
 ひとつ北側にある、以前は大変賑わったライブハウス(紫、コンディショングリーンはここでしょう?)や、照屋林助(てるりん)さんの小屋などのあったパークアベニューも、昼間は惨敗で、夜もネオンはチラホラ程度という寂しい状況です。
 ──この上米兵が何か問題を起こして、外出禁止令が出されてしまえばそれで開店休業。
 07年夏オープンの、音楽で町おこしを目指した期待の「コザミュージックタウン」(上写真)を楽しみにしていたのですが、これもテナントが埋まっておらず撃沈。さて、どーしたらいいのだろうか?
 この町だけ「子どもを増やして活気を取り戻そう!」なんて言えるものでもないのですが……

 でも、子どもはいるようで、以下に沖縄子どもの国で仕事をしている知り合いについての近況報告を。

 沖縄子どもの国「ヨナグニウマ ふれあい広場」の「ひめまる」さん(昔の職場の仲間)は元気でした。
 おじゃまして、少し馬に乗せてもらおうと思っていたのですが、夕方から土砂降りの雨で残念……
 与那国島から単身+馬3頭で沖縄本島に乗り込んで、3年になるのかな?
 ようやく軌道に乗り始めてきたとのことで「ボチボチ国民年金払い込まないと、期限切れちゃう……」と、社会生活にも復帰できそうな雰囲気です。
 以前の項で触れた伊江島の方からの相談などだけではなく、今後の事業展開などへの意欲にも満ちていて、語る目や表情が輝いていてカッコイイんですよ!
 渡ってからもう7年だそうですが、ようやく芽吹き始めたようなので求人があったら連絡してもらうよう、お願いしてきました……
 沖縄へお出かけの際は声を掛けてあげてください。
 顔つきは精悍(せいかん)になって変わりましたけど、一目で分かりますから。

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