2008/05/04

ゆとりの必要──識名園、中城、海中道路

2008.4.20
【沖縄県】

 本日は沖縄本島を、那覇から本部(もとぶ:美ら海水族館方面)へ寄り道しながら移動の予定で、細かなことは決めていませんでした。
 日曜日で水族館方面が渋滞しているとのことなのでのんびり北上しよう、そんなゆとりがいい出会いを作ってくれました。

 識名園


 識名園は高速道路の那覇インター近くにあり、ここを通るたびに「寄りたいけど時間がない」と、素通りし続けてきたので、今回はチャンスと足を運びました。
 ここは琉球国王の別邸で、冊封使(さっぽうし:中国の皇帝が属国の国王に対し派遣する使者。琉球王国時代は中国皇帝に従うことで国として認められていた)を迎えるために利用された迎賓館のような存在だったそうです。
 他国からの来賓を意識したからでしょう、中国、日本、琉球的な要素が折衷されている印象があり、こういった施設が存在しうるのも対外交易を重要視した琉球ならではと思います。
 下写真は、御殿(うどぅん)内でもてなしてくれる「ブクブク茶」の支度の様子です。三線も置いてあるので、唄も披露してくれるのかも知れません。
 ブクブク茶とは、玄米茶にお茶(沖縄のさんぴん茶、やんばる茶)をブレンドして茶せんで泡立て、落花生の粉末をふりかけたものだそうです。

 識名園の駐車場を出る時、車の流れが多かったこともあって、カーナビの指示とは反対へ反対へと流されてしまい、すぐ近くにある識名霊園へ迷い込んでしまいました。
 逆らえない流れは「清明祭(シーミー)」のために墓地へ向かう車の列でした。臨時の駐車場だけでは入りきれず、霊園周辺の道路は路上駐車の列が途切れない状態です。
 こちらのお墓は大きくて、その前にはちょっとした庭のような空間があるのをご存知の方もおられるでしょう。
 先祖が眠る墓前の庭に親戚一同血縁者が集まり、亡き先祖の供養と子孫繁栄や一族の息災を祝い、皆が持ち寄ったごちそうで宴が繰り広げられる清明祭という一大イベントの中に迷い込んでいってしまったわけです(近ごろでは、4月中旬の日曜日に行われることが多いそうです)。
 一度どんなものなのか見てみたいと思っていた「一族総出の墓参り」に、期せずして遭遇できて感激です。
 どこのお墓も人でいっぱいです。お墓の前に大勢の人が集まるというのは、先祖の存在はもちろんですが、それを守り続ける血縁者達の営み、そして子孫を多く残そうとする意識こそが「末広がり」の一族構成を実現しているのだと思います。生命賛歌とはこのことですね!(晩のニュースで識名霊園の様子が流れていました)
 何か「引き寄せられた」と思う面もあるのですが、今回はこの先も「スピリチュアル」な方向へ向かいたいとの気持ちがあったので、いいスタートを切れたと、まずは感謝です。


 中城(なかぐすく)城跡


 2度目の訪問です。のんびりとしていて観光地っぽくないところが好きだったのですが、そんな前回のマイナーな印象がそのまま残っているように感じられます。それは、首里城、勝連城、今帰仁城に比べると修復が何も進んでいないんじゃないか、と思ったからでしょうか。
 返還後の早い時期に修復がはじまったとあったので、これで修復は終わっているのかも知れません。
 別に観光地らしくしろと申すものではなく、相変わらずのんびりとした雰囲気が好きだなぁ、と思っています。
 周辺に人が集まるスポットがなかったり、立ち寄りにくい立地条件で素通りされているのかも知れません。
 時代は不明ですが、首里城への遙拝所、久高島(後日登場します)への遙拝所が現存しているので、静かなくらいがいいのかも知れません。


 敷地内らしいのですが、すっごく気になる廃墟(中城高原ホテル跡)があったりします。
 ──昔、仮面ライダーなんかのロケとかしたんじゃないかなぁ? でも、沖縄までロケに来られないか…


 浜比嘉島


 時間があると(?)、いや作ってでも来てしまう海中道路はもはや定番になっています。また、その時必ず寄ってしまう浜比嘉島です。
 島に架かる橋の上を走りたいから、という理由だけかも知れませんが……(気持ちいいですから!)
 この島でとても好きなのが、橋を渡って右に曲がりすぐ左側にある「東の御嶽(あがりのうたき)」(シヌグ堂とも呼ぶらしい)にそびえるガジュマルの大木です(上写真)。
 大木なので足元が薄暗いのは当たり前ですが、そのせいで霊気が漂っているというのか、この木をどう表現したらいいのか考えてしまいます。
 聖地ですから、この木も島民に見守られてスクスクと育ったのでしょうが、でも自然だけから生命力を受けて成長したのかと考えると、昔からここに御嶽(うたき)があったとすれば、人々もこの木に祈りという生命力を与えていたのではないか、とも思われてきます。
 人が島に住まい、生活し続けてきたことの象徴として棲息しているのではあるまいかとも思えてきて、この木の前に立つといつも「人間だけが感じるであろう畏怖の念」を想起させられます。
(ここにも「ハブ注意」の看板がありますが、そういうことではなくて!)
 ──屋久島の縄文杉は、人とは無縁に昔からそこに在った存在であると思えるのですが、このガジュマルはある意味、自然と共に人が育てた大木なのではないか、と思えてきます。
 これまでは、ただうっそうとした森の中にあったのですが、すぐ脇で整地作業が行われていました。観光地化の準備であれば仕方ない面もありますが、建物でも建ってしまったらと思うと、ちょっと悲しい気がします。
 それを確認するためにまた橋を渡りに行ってしまうと思います。


 海中道路


 天気のいい日曜日は、この海中道路は駐車場になる、という沖縄らしい使われ方をしています。
 そのために(?)設計段階から路肩が広く計画されていたとしたら、あっぱれです!
 だって公共施設というものは、地元の人たちが有効活用できるようでなければ使命を果たさないわけですから。
 皆さん楽しみながら(と思います)晩のおかず探しに歩き回っています。狩猟・採集に熱中してしまうのは人類の本能なのではないでしょうか?
 この絵もまさに「沖縄の光景」です。
 もう少しゆとりをつくれた時には、参加したいと思います。

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